寄稿 公明党に期待するもの

大阪経済大学教授 佐藤秀

国内の原油高、原材料高に加え、米国発の金融危機が世界経済を席巻し、日本の政治の在り方が問われる今、大阪経済大学class="ISI_MESSAGE">教授の佐藤秀雄氏に「公明党に期待するもの」と題して寄稿してもらった。


「大衆とともに」を信条とする国民本位の公明

 「善意は地獄への道につながっている」というイギリスの古いことわざがある。よかれと思ってやったことが、とんでもない結果をもたらすことがある、という意味である。

 このことは、政治的決定のように社会に大きな影響を与える場合によく当てはまる。

 最近の事例で、建築基準法の改正を考えてみよう。耐震偽装再発防止という「善意」に正当性があったことに疑いはないが、余りにも厳しい改正基準を設定したため、結果的に官製不況といわれる不動産・建築業界の不振を招いてしまっている。

 後期高齢者医療制度障害者自立支援法貸金業法改正、毎年2200億円の社会保障費の削減、ODA予算の削減なども、財政規律の確保等一定の正当性はあったものの、結果としては思わぬ事態を招いている。また、確率微分方程式を駆使した金融工学の発達に基づく金融資本主義の崩壊も、結果の予測を誤ったものといえよう。

 ことほどさように、動機の正当性は、結果の正当性をもたらすとは限らない。


政策立案には徹した調査・分析を

 複雑な現代社会にあっては、政策の立案・実行に当たっては、全体構造と問題点を徹底的に調査・分析し、結果を幾通りも予測した上で、最善の選択をすべきである。この意味で、国家・社会の行方を左右する政治家の判断は決定的重要性をもつ。徹底した調査・分析力、先見性と洞察力が要請される所以である。

 ここで、思い出すのは、日本が誇る政治家の一人である後藤新平である。後藤は、「調査が洋服を着て歩いている」といわれたほど、徹底的に調査をした上で政策を立案・実行したといわれている。無論、植民地政策に正当性はなく、このことは一応おくとして、後藤新平の台湾政策は、現地の歴史・文化・風俗・習慣などを徹底的に調査した上で、現地の人心を最大限尊重した政策を展開したといわれている。その結果は、愚劣を極めた朝鮮政策、中国政策と際立った対照をなしていることは、よく知られている史実である。


国民が不安感を抱く老後の人生

 今、日本国民がもっとも不安感を抱いているのは、10年後、20年後、老後の自分の人生がどうなっていくのか、という将来不安であるといわれている。中でも、年金、医療、介護の社会保障の不安は深刻である。

 1947年(昭和22年)の平均寿命は、男50.06歳、女53.96歳であった。これが、2007年(平成19年)には、男79.19歳、女85.99歳に延びている。現在と比較すると、男性でほぼ20年、女性で25年のズレがあることになる。ドイツのビスマルクが創設した年金制度にヒントを得て、戦時中の昭和17年にスタートした年金制度は、人生50年時代に設計されたものである。人生80年時代の日本には合わなくなっている。高齢化が予測された80年代に、年金制度を抜本的に見直すべきであった。

 このような不安に加えて、9月に顕著になったアメリカ発の金融危機がもたらすかもしれない大不況への恐怖が国民の不安を増幅している。グローバル化という怪物が手にしている金融資本主義の猛威を制御できるか否か正念場を迎えている。


今問われる政治家と政党の資質

 この意味でも、今ほど、政治家・政党の資質が問われている時代はない。厚労省農水省防衛省天下り問題など官僚に重大な問題があることは論を待たない。しかし、官僚をバッシングすることで、政党・政治家がアリバイ工作に走ったり、政局がらみの権力闘争をしている場合ではない。

明確なビジョンと政策示し将来見据えた大きな政治を

 この国の将来をどうするのか、明確なビジョンと政策を提示し、大胆に実行する能力と政治的意思が問われている。公明党は、結党以来一貫して、「常に大衆とともに、大衆のために」政治を行うことを政治信条とする政党である。政治を一般国民の手に取り戻すために立ち上がった国民本位の政党である。このことは、公明党の支持母体である創価学会が、会員1000万人余の日本最大の宗教団体であり、会員が社会のあらゆる階層の人々から構成されていることからも首肯できる。公明党は、特定の団体や利益を代表しているのではなく、この国の平和と繁栄を願う宗教的信条に裏打ちされた政党と見てよい。公明党には、他党には見られない優位性がある。この点からも、公明党に、期待を寄せる人は多い。これまで、平和と福祉・人権の政党として、一定の実績を上げてきてはいるが、まだまだ十分とは言えない。利権やしがらみに縁のない公明党には、正々堂々と国民のため、国家の危機とも言える現下の困難を克服すべく将来を見据えた大きな政治を期待したい。


宗教団体の政治活動規制は違憲

 最後に、最近、公明党の支持母体である創価学会の政治活動をめぐって、国会の場や公共の電波を使って、政教分離問題として、誹謗中傷している政治家や政党の言動が目立つが、この点について、言及しておきたい。

 そもそも、憲法20条の政教分離の原則は、戦前の苦い歴史の反省から、国家による宗教への介入禁止(国家の宗教的中立性)、宗教団体による政治・行政上の統治的権力(立法権、課税権、裁判権、公務員の任命権など)行使の禁止、宗教団体が国から特権を受けることの禁止を規定し、もって「信教の自由」を実質的に保障したところにその本質的意味がある。

 創価学会が統治的権力を行使したことはなく、国から特権を受けたこともない。公明党が布教活動をしたこともない。宗教団体が、政治活動の自由をもつのは自明の理である。憲法政教分離の精神を正しく理解すれば、創価学会公明党の関係が、政教分離に抵触するなどという批判は全く的外れであろう。むしろ、国会議員による宗教団体の政治活動に対する論難は、国家権力を担う立法府の議員・政党による宗教への介入、圧迫とも受け取られかねず、逆に、憲法20条違反の疑いすら生じかねない。

 政教分離問題について、この稿で議論する紙幅はないが、現憲法制定以来の国会論戦や最高裁の判示、憲法学会の通説などから明々白々となっており、既に決着済みではないか。


 【略歴】さとう・ひでお 大阪経済大学教授。1971年外務省入省、国連開発計画(UNDP)東京事務所所長を経て、99年から福岡国際大学教授。2007年より現職。青山学院大学修士国際政治学)、名古屋大学大学院博士(ガバナンス論)。著書に『新ODAの世界』(青山社)など。

(公明新聞:10月29日)