「弥富市の防災を考える・被害者ゼロを目指して⑦」


災害が起こっても適切な判断と行動で、危機を回避する、自らが生き残る力、この自助力を養うにはどうすれば良いのか?持続するにはどうすれば良いのか?

過去の災害からも分かる通り、自然の力は強大で人知を超えるものです。教訓が伝えるものは、自らが生き残るという強い意思と、人と人との支え合いの大切さです。

防災の基本では自助、互助共助と言われていますが、これを知識としてだけでなく、実際に知恵にして行動出来る事が肝心です。

そういった意識の啓発と、それを生活の習慣、地域との関わりに活かす事が、発災時、結果的に減災に繋げることができるのではないでしょうか。

市は72ある地域に、自主防災会の設立100%を目指しています。それは私たちにとって重要なことです。

しかし、なぜ出来ないのか。また設立してても、なぜ活性化出来ないのか、ここにどんな問題があるのでしょうか。

自治会は多少の状況は違えど、それぞれ課題を抱えています。

例えば、住民の自治会への帰属意識の低下、高齢化、それらによるなり手不足、行事ごとの形骸化など、他にもあるかもしれません。

プライベートが重視をされ、ご近所や人とのお付き合いも固定化していたり、希薄化している現代社会で、住民同士が互助意識を持って、地域のために何かする、共有するという理由が見つけにくくなっています。

そんな中で頑なに「やらなきゃならない!」と、前後の想定もない防災訓練を行なっていたり、時勢にそぐわない規則や形式に縛られながら、組織存続のために内向きに力の入った活動を続けても、会員同士が不和になったり、参加者が増えるどころか減ることになってしまいます。

「正しい事なのに刺さらない、響かない」
大して信頼関係にもない中で、一方的に人から言われても「あ、そう。」で終わってしまいます。

地域には世代も違い、職業も生活環境も違う色々な方がお住まいです。そういうことを理解せず、「正しいことだから」と主催者側の一方的な考えで強行してしまえば、押し付けと捉えられてしまい、理解もされないし、共感が広がる事もありません。

過去の災害を教訓にするなら、この現代社会で、老若男女、時代が変わっても共有すべき唯一の課題は防災だと思います。

お一人お一人が「そうだね」と実感するまでは、お一人お一人が自分の事として考えられるよう、そう気付けるように自助の啓発を繰り返し行う事が大切だと思います。

目指す効果は発災時の「減災」ですが、広く地域住民に「日頃からの近隣のお付き合いは大切だよね」と当たり前に思ってもらうにはどうするか?これこそが課題だと思います。

市内には防災に意識の高い方は多数おられます。国や県、市の主催する防災訓練、防災講和などにも進んで参加をされ、地域の防災力向上に役立てようと尽力されている方も大勢おられます。

「地域の防災力」とはいったい、どういうものなのでしょうか?
発災時、直後に被災しても人的被害をださないために、また発災から復旧復興に向けて力を合わせて取り組めるようにすることでしょうか?
それは大変重要なことですが、だとしたら、災害が起きないと計れないという事になってしまいます。一生起こらないかもしれない、それでも。そのために唯々実直に訓練を繰り返す事が正しい進め方なのでしょうか?
そのことは地域住民全体で共有することが出来るでしょうか?

冒頭に書いた通り、地域には仕事、家庭環境、世代も違う様々な方々が、日々の生活で各々の課題や目標を持って暮らしています。
地域で行われる防災訓練や行事ごとは、大抵は土日や祝日に行なわれます。
となると、その日も仕事の方は永久に参加できません。また、子育て世代のご家族なら、たまの休みには家族で過ごしたいと思われるでしょう。
地域全体で、自助を基調とした防災意識の向上と共有は、色々な方々の生活環境、生活習慣を理解し尊重して行わないと、真に共感は拡げられないと思うんです。

とはいっても、自治会の自主防災会が主催で訓練などを行う場合、中心となって進めていく役員や防災会員もまた地域住民の一人です。
どこにどう接点を設けていくか?誰を対象にしていくのか?主催していく側も知恵を絞らないといけません。

例えば、少人数でも行えるDIGやHUGなどの図上訓練やワークショップは平日の夜でもできます。
家族連れや学生さん、若い方も参加しやすいよう防災訓練を、遊び感覚で気軽に携われるフェス形式で行う事も有効です。

いずれにしても「楽しかったね」「またやりたいね」「もう少し深くしりたい」など共感を拡げていくことが、自治会の帰属意識、いわゆる現代の「近隣同士が協力し合う」理由を見出すことが、そのきっかけを作ることが大切です。

今回はここまでです。
市の防災ワークショップに参加した際に感じた違和感と、自身の体験から、核心的な部分はあえて書いてませんが、「問題の投げかけ」として書きました。