「あえて言う『後期高齢者医療制度』は絶対に必要だ」

いやはや、あの公明バッシングばっかりの「週刊新潮」が特集組んでましたよ!驚きました。まあ数々の損害賠償を背負っているせいか、売り上げに繋げなければならないようです。所詮、マスコミ等は「本質」より「結果」だけが全てなんでしょうね。某局の番組や、一部の新聞でも執拗なまでのネガティブキャンペーンをはってますけど、とても「国民のため」の情報になってません。不安を煽るだけ、問題を穿り返して提起するだけ、何の解決策もだせない。報道の自由とはいいますけど、「モラル」を忘れないで欲しいですね。私たちもメディアリテラシーってもんを磨かなければなりません。巷では不況を理由にして利益を優先するあまり、コスト削減のために「偽装」が横行しておりますが、一番大切な消費者を欺くと、企業にとって生命線である「信頼」を失います。もう商売は成り立ちませんね。私も商売やっておりますから思いますけど、閉塞感があり、景気が良くないと言われている今こそ、消費者は高くても質の良いものを選ぶのではないでしょうか?これが出来る企業が、勝ち残って行けると思います。マスメディアも例外ではなく、なんのポリシーも無く情報の垂れ流しをしていると誰もがソッポむきますよ。見て、聞いて元気になる情報を期待します。おっと、話題が逸れてしまいましたが、売らんが為の特集ですが、わりと説得力のある内容ですので紹介します。書いているのは、キレ味鋭いニュースキャスター、櫻井よしこさんです。

「あえて言う『後期高齢者医療制度』は絶対に必要だ」櫻井よしこ 週刊新潮(2008/6/27)

施行と同時に、日本中から袋叩きに遭ってしまった「後期高齢者医療制度」。保守もリベラルも揃って大反対し、血も涙もない史上最悪の政策かのような扱いである。だが、この医療制度は本当に「姥捨て山」なのか。怒声の中にかき消されそうな改革の本質を探る。

迷走を極める後期高齢者医療制度を巡る議論は、堕ち行く日本の品格と失われ行く日本人の誇りを象徴するかのようだ。社会保険庁の呆れる行状、当初、道路特定財源を死守しようとした官僚と族議員の国民不在の利己主義、天下り先の組織に膨大な税を注ぎ込むさもしさ。政府は、これら統治者側の不始末を正すことなく、高齢者医療に費用がかかりすぎるとして、ひたすら国民に負担を求めようとした。反省なしの施策が、国民の怒りを招いたのは当然だった。
保守も革新も、普段の意見の相違を越えて、この件では軌を一にした。「毎日新聞」は社説で同制度を「うば捨て」と呼び、森永卓郎氏は「週刊朝日」に「75歳以上の方々に死んでくれと言っているような制度」とコメントした。「塩爺」こと塩川正十郎財務大臣も、「高齢の親を扶養するという伝統的な家族の絆を壊すばかりか、夫婦の間にも水臭さを持ち込みかねない」と痛烈だ。
東京巣鴨とげぬき地蔵に集うお年寄りらの不満の声が、新開、雑誌、テレビに溢れ、同制度には1000人中、999人が反対だといっても過言ではない。
批判の嵐のなかで自民党衆院山口補選で、次いで沖縄県議会選挙で惨敗した。批判を募らせる国民の心には、政府への不信感が渦巻いている。10年間にわたって59兆円を道路整備に充てようとした一方で、医療、福祉などの社会保障費を毎年2200億円ずつ削りたいとする政府への怒りは、或る意味当然である。
後期高齢者医療制度小泉政権下で法制化され、施行まで2年近い周知期間があったにもかかわらず、厚生労働省はほとんど広報活動をしてこなかった。同時期、さかんに広報された裁判員制度とは対照的である。
だからこそ、国民には、突然降って湧いた制度のように見えた。制度の切り替えに伴って届くべき新しい保険証が届かなかった事例も少なくない。この種の混乱に国民は苛立ち、さらにメディアに煽られ、怒りの感情がさらに膨らんでいった。そして同制度が日本の医療問題の解決にどうつながっていくのかという本質論は殆ど置き去りにされた。
再度、指摘するまでもなく、同制度は小泉内閣が通した。国民は高い支持率を小泉内閣に与え、事実上、同制度を支持したのだが、にもかかわらずその具体的内容と日本の将来に及ぼす影響については全く考えなかった。

消費税導入の教訓
対して福田康夫首相は6月12日夜、記者たちを前に「率直にお詫び」した。「高齢者の方々の気持ちを心ならずも傷つけ、それぞれの方の事情に対する配慮も欠けていた」と言うのだ。
政府はどのような意図で制度を作ったのか、なぜ必要なのか、説明することもなく、屈したのである。
だが、どんなに反発しても、日本の医療制度が崩壊の危機に瀕しているとの懸念は、私たち全員に関わってくることであり、次の世代、また次の世代に深刻な影響を及ぼす難題である。
医師の偏在や不足が指摘されながらも、先進諸国の医療に較べてさえ、低い自己負担で医療を受けられるのが日本である。日本の現状を、この一瞬だけ切り取って考えるのであれば、制度改革など必要はない。
しかし、私たちが享受する医療や福祉は、よきにつけ悪しきにつけ、私たちの前の諸世代が築き上げてきた積み重ねの恩恵を蒙っている。私たちが自分たちの力だけで医療や福祉をここまで築き上げたわけではない。
また、私たちは自分たちの力だけで生きているのどもたちに扶養され、保険料負担がゼロだった低所得の被扶養のお年寄りも保険料を負担することとなった。その結果、200万人にのぼる被扶養者が突然、4月から保険料を年金から天引きされることになった。これに対して冷酷非情との猛反発が起きたのは間知のとおりだ。
なぜ、厚労省はこの種の制度改革に踏み切ったのか。そのことを知るためには、日本の医療費が増加の一途を辿ってきた理由と歴史を探り、さらに日本の医療を、国際比較のなかで見てみることが必要だ。
05年のOECDの統計では、日本人の病院受診回数は、年間13.8回である。
一方EU諸国の受診回数はドイツで日本の約半分の7回、フランスが6.6回、英国は5.1回である。通院頻度で日本は、OECD加盟の先進30カ国のうちのトップなのだ。
平均入院日数も、日本は35.7日で断トツに長い。フランスが13.4日、ドイツが10.2日と、日本の3分の1程度である。英国は、7.0日間で、米国は、平均6.5日。
日本の統計には療養型病床も含まれており、単純比較は難しいが、それでも、日本人は頻繁に通院し、入院日数も飛び抜けて長いと言える。こうした点に加え、受け入れ側である日本の病院にも、国際比較で際立つ特異な点がある。

CTスキャナー大国
人口1000人当たりのベッド数の比較である。日本の14.1床に較べて、ドイツ8.5、フランス7.5、英国3.9。米国はたった3.2床にとどまる。前述のように日本の病院が、長年、高齢者用の福祉施設のように利用されてきた事情もあり、統計だけで一概に比較出来ないのは確かだ。だが、医療と福祉が渾然一体となり、医療費を押し上げてきたのは事実である。
医療機器の整備でも、日本は群を抜く。米国や英国の病院に較べて、CTスキャナーやMRIなどの高額精密機器の人口当たりの設置台数は飛び抜けて多い。OECDの統計では日本は世界最多のCTスキャナーとMRI保有する。人口100万人当たりのCTスキャナー数は92台、米国の約3倍、英国の約12倍だ。
他国と比べて2倍も3倍も通院し、入院し、高価なCTスキャナーなどで検査を繰り返す「賛沢な医療」を享受すれば、医療費が嵩むのも当然だ。では、日本と比べて諸外国の医療はお粗末なのか。そんなことはないと、春山氏は強調する。「例えば、イギリスでは、風邪などの一般症状では病院を受診することは出来ません。自分の健康を長年、診察・把握している掛かり付け医がいて、まず、そのクリニックで診断を受けます。掛かり付けですから、医師は患者の事情に精通しています。体調を崩せば、症状だけでなく、患者の生活まで全体像を捉えて診断出来ます。もし、治らずに検査が必要だと判断したとき、初めて掛かり付け医が、CTスキャナーなどが設置されている病院を紹介するのです」掛かり付け医とクリニック、そして病院という連携が医療費抑制に効果のあることは、日本の一部の県でも証明されている。
05年の厚労省の調査は、長野県が、県民の平均寿命で全国トップクラスにあると同時に、県民一人当たりの老人医療費は全国最低だったと明らかにした。
地域や個人にもよるが、一般論として挙げられる主な理由が、掛かり付け医、クリニック、大学病院の各々の特色を生かした連携が取られていることだという。
たとえば風邪をひくと、まず自分で治す努力をし、必要なら近所のクリニックに通う。治らない時に初めて病院に行く。医額費を抑えると同時に、長寿にも一役買っているこの種の習慣を、全国で採り入れてほしいとしているのが後期高齢者医療制度であり、それは極めて妥当な要請である。
必要な治療は誰でも適宜、受けられるようにしなければならないが、国際比較でみても、日本全体で工夫の余地は大きいのだ。
老人医療費の増加原因の一つとされるのが終末期医療での集中的な治療である。一人平均112万円が死亡直前の1カ月に費やされている。新渡戸文化学園・短大学長で、医学博士の中原英臣氏が説明する。
「1950年代には80%の方が自宅で亡くなっていました。しかし、現在では数字が逆転して、80%余りの方が病院で死を迎えます。理由はいろいろですが、死亡から逆算して24時間以内に患者を診断していない医者は、死亡診断書を書けない、つまり不審死とされかねない法律があり、それも病院死を増やしている一因でしょう。結果論ですが、臨終間際の病院で、患者はさまざまな治療を施されます。点滴の管を何本も取り付けられたスパゲッティー状態の患者さんが生まれ、病院はこうした局面でお金を稼ぐのです」

延命治療の値段
亡くなる直前に救急車で運ばれてきたお年寄りに、病院は事実上、何でも出来、それが医療機関の収入源になっていると語るのは、静岡県立大学経営情報学部の小山秀夫学部長である。
「お年寄りも家族も、日本人の多くが、自分はどのように自分の一生を終えたいのか、一分でも長く生きたいのか、或る程度の治療のあとは自然の生命力に任せたいのか。こうしたことを決めていませんから、最終局面でさまざまなことが起きてきます。延命治療をすれば3日はもつ、手を打たなければすぐに亡くなるという状況で、どちらを選ぶのか、医師の判断に委ねられがちです」
そこで病院側は家族に立て続けに問わざるを得ない。
「点滴を打ちますか」
「酸素を入れますか」
「心電図を取りますか」
「血圧が下がっています。昇圧剤を打ちますか」
「人工呼吸器つけますか」
「心臓が止まりました。電気ショックをやりますか」
値段は、カウンターショック(電気ショック)が3万5000円、24時間の心電図モニターが1日1500円。人工呼吸器装着のために必要な気管内挿管措置は5000円、人工呼吸器は1日1万2000円。強心剤の点滴は1本7000円、心臓マッサージは2500円……。
かつて過剰医療が問題になったが、これら延命治療をフルに行えば、費用は驚くほど増えていく。私たちはそうした費用のわずかな一部を支払うのみである。レセプトを請求しない限り、総額さえ知ることもない。
そして、人生の最終段階で、数日間の命を長らえるために、苦しい治療を受けることの是非さえ、冷静に考えずじまいになりがちだ。結果として私たちは間違いなく、次世代にツケを回すのだ。小山氏が続ける。
「国会では、制度の是非もわからない政治家が、?ネーミングが失礼だ″とか?姥捨て山″だとか言って、大反対しました。しかし、伸びていく老人医療費は結局誰かが負担しなければならない。後期高齢者医療制度への反対も構いませんが、では、全額税金で賄うのか、そのために大幅増税に応じるのか、それとも埋蔵金でも探すのでしょうか」
小山氏の論点もまた明白だ。日本国民全員に必要で十分な医療を供給するのは国家として当然の責任だ。
日本を支えてきたお年寄りだからこそ、大切にしていきたい。けれど高額な医療費を、人口減に直面する日本で若い世代の支払いに頼ってよいのかという問いだ。
日本人の生き方として、一体どんな道を選ぶのがよいのか。若い人はお年寄りを大事にし、お年寄りは若い人々の好意を嬉しく受けとめながらも、自力で自分を支えようと最大限の努力をする。同国に感謝しっつも自己責任を貫く。それが、一所懸命に生きてきた日本人の品格であり、誇りではないのか。政府はそのような国民の心意気に、感謝しつつ、他方、自力で支えきれない人々に、援助の道を用意すべきなのだ。
後期高齢者医療制度が解決策だと言うつもりはない。だが、少なくとも同制度が提起する問題の本質を、私たちはいま、冷静に考えなければならないのである。

「あえて言う『後期高齢者医療制度』は絶対に必要だ」<2>週刊新潮(2008/7/3)
目下、70歳以上の高齢者の医療費は、国全体の4割以上を占め、すでに13兆円を突破したという。これが制度改革を迫る一因となってきたわけだが、果たして適切な医療行為が行われてきたのか。現場の最前線では「検査と薬漬け」の老人医療が問題視されている。

人間誰しも平等に年をとる。年齢を重ねていくにつれ、身体の不具合も生じてくる。誰でも等しく75歳になる。だからこそ、問題だらけの医療の現状を変えなければならない。後期高齢者医療制度を、現状を変えていく端緒とすることが出来るのではないか。だからこそ同制度が提起している問題に正面から向き合うことが必要ではないか。
長年医療と福祉に携わってきたハンディネットワークインターナショナル杜代表の春山満氏が指摘する。
「今回の制度改革は医療における自己防衛、自己選択、自己責任がきちんと認識されるための大きな第一歩なのです。後期高齢者医療制度は従来型の医療制度の解体と対になっていることを忘れてはなりません。戦後日本の守られた環境の中で、歪な成長を遂げてきた医療制度の膿を出し切って解体しない限り、国民のための真の医療は定着していかないのです。私たちは、私たちの健康を守るとともに、子や孫の世代の医療、それを支える資産も守っていく仕組みを考えなければならないのです」
2005年度の統計で老人医療費は11兆6400億円余りに上る。厚生労働省の統計では、ここ数年の老人医療費はほぼ同水準で推移してきたことになっている。だが、実際には高齢者の医療費はずっと増え続けている。
にもかかわらず、ここ数年、同水準が続いているのには訳がある。02年度の改革で「老人医療費」の「老人」の定義が年々変わってきたのである。「老人医療費」は02年度は70歳以上の人々に要した医療費だった。翌03年度は71歳以上、04年度は72歳以上というふうに毎年1歳ずつ基準年齢が上がったわけだ。
基準年齢を70歳に固定して統計をとり直すと、06年度で70歳以上の医療費は13兆8000億円、全体の医療要の42・4%にのぼる。
「高齢者の医療費が増え続けている一方で、救急医療、産婦人科や小児医療が後回しになっているのが見てとれます。高齢者医療に歳出が特化しているのは、無駄な医療が多いことに加えて、医療と療養が分別されていないことも大きな要因です。米国も欧州も、医療と療養はきちんと分けています。両者の一体化が、日本の入院日数が欧米に較べて際立って長いという結果にもつながっていると思います」
春山氏はこう指摘し、高齢者にとって真に必要な医療の確立のためにも、後期高齢者医療制度が提起する問題から日を逸らしてはならないと説く。
取材を進めていくと、高齢者医療の現場にいる医師たちの多くが高齢者に施される医療の適切さを疑っているのに気づかされる。日々患者を診る医師たちが、高齢者医療の最前線に、天を仰ぎ、嘆息するような現実が横たわっていることを知ってほしいと語るのだ。
今回の制度改革が65歳以上74歳までを前期高齢者、75歳以上を後期高齢者と名付けて分類し、制度改革のターゲットとした以上、高齢者医療の実態把握と分析は、制度の是非を論じる上で、避けて通れない。
同制度は、増え続ける高齢者の医療費をこれまで負担のなかった一部の高齢者にも負担してもらい、同時に適切な医療を行うことが狙いだ。医療費の抑制は主目的のひとつではあるが、かといって、真に必要な医療を受けることが蹄躇われる社会を招いてはならないのは言うまでもない。
『日本人の死に時』という著作の中で、<病院に行けば安心と思うのは幻想>と、挑発的に記した医師で作家の久坂部半氏はいう。
「つまるところ、病院経営は、無駄であっても検査と治療をジャンジャンしないと成り立ちません。ですから、不必要な検査も、〝やっておきましょう″となる。患者も″その方が安心だから″という理由で、検査を無批判に受け入れる。儲けのためと一時的を安心のため、病院側と高齢者のこの二つの要素が両輪となって、高齢者医寮費を加速度的に増大させています。あまりにも無駄が多いのです」
氏は現在、在宅医療専門のクリニックに所属し、週に数日、高齢者の自宅を訪問するが、それ以前は病院勤務の外科医だった。
「当時は、目の前の患者のために最善を尽くすという思いが先走って、今から思えば無駄な延命治療をとことんやってしまうことが多かったのです。例えば、人工呼吸器をつけます。患者は苦しい。すると、苦痛を和らげる鎮静剤を投与して、意識レベルを落とす必要が生まれます。患者は朦朧とした意識の中で、喘ぎ続けます。そこで生じる問題を解決するためにさらなる治療が行われ、さらなるお金が掛かるわけです」
こうして積極的医療の連鎖が無限に続いていく。莫大な費用が掛かり、患者の体はズタズタにされていく。
「私だけでなく同世代の同僚医師たちも、無駄だとわかっていながら、最後の思いを託して検査や治療をしていました。ベテランの先生になるほどそういう無駄は少なかったように思います。人間のなんたるかが、我々若い医師よりもわかっていたのでしょう」

無視される患者の声
新宿ヒロクリニックのは英裕雄院長は、在宅医療の草分け的存在だ。在宅医療を始めたきっかけは、研修医としての体験だった。
「大学病院での研修医の経験で、自分が患者なら、或いは年をとったとき、こんな医療を受けたいと思うかと」と、よく仲間内で議論しました。『俺は嫌だ』というのが大半でしたね」
英医師が現在も鮮明に憶えている男性患者は釣りに行きたいと切望していた。「心不全の患者さんでした。最期は昇圧剤、人工呼吸器、人工心臓で、何本もの管につながれ、結局、1〜2カ月の集中的な治療の末に病院で亡くなりました。けれど、初期の頃はまだ歩けたのです。自宅に帰せるタイミングは確かにあったのです。何より、本人が釣りに行きたいと願っていましたハで、大学病院での私は、この人に、釣りに行かせるための医療でなく、データを正常化する医療をしてしまった。負けの医療、つまり病院で亡くなることになると思いながら。93年前後の研修医の頃です。日本の医療は、患者を治療に引っ張りすぎている。『私はこう死にたい』という患者の声は無視されているのです」「正常値」とは健康な20代や30代の人々の数値である。日本の高齢者医療は、老人とは身体状況が全く異なる若者たちを基準に構築されているのだ。例えば、血圧が160に上昇すれば、患者の年齢に関係なく降圧剤を打つ。75歳や85歳の患者に、それでよいのだろうか。英医師が語る。
「20代や30代の数値を基にして、160の血圧は高すぎると判断し、降圧剤を使うのは、20年後、30年後の心筋梗塞脳梗塞といった『心血管イベント』のリスクを下げるためなのです。75歳や85歳の方々に、20年後、30年後の健康を優先して血圧を下げることの意味を、日本の医学では考えてこなかった。高齢者は血圧を下げると貧血になりがちです。結果、転倒リスクが増える方がよっぽど危険です。また、元気がなくなり、食事が進まなくなる危険性もあります。その方が、患者にとっては余程有害です。医師や製薬会社はそのような情報は出さない。若い世代を基準にしたいわゆる正常値とされる数値に近づけないリスクだけを強調することになります。つまり、医療界に飛び交っている情報は一方に偏りがちなのです」
老人専門の総合病院「浴風会病院」に勤務した経験から『間違いだらけの老人医療と介護』という著書を書いた精神科医和田秀樹氏は、後期高齢者医療制度は必要だとしながらも、同制度も含めて、日本の医療制度は高齢者の身体機能について理解することなく制度設計されてきたと批判する。
「浴風会の調査データによれば、高齢者の体には不思議なことが多いのです。たとえばコレステロール。東京都で70歳の老人の追跡調査をしたところ、正常値よりも少し高い人が結果的に長生きしています。また血糖値も、そんなに下げなくてもよいという調査結果があります。加齢で脳内血管の壁が厚くなっているために、血圧や血糖値がある程度高くないと、脳に酸素や糖を届けられないのです」
氏は、高齢者は肝臓の機能が低下し、飲んだ薬を分解する能力も低下すること、さらに腎臓の機能も低下し、薬を排泄する能力も低下することを、医師たちはまず知るべきだと言う。
「薬を飲むと血液に溶け込み、大体10分から30分ぐらいで血中濃度がピークに達します。このピークに達した薬が、肝臓で分解され、腎臓で濾過されるのです。だいたい数時間後に、血中濃度半減期を迎えます。この半減期に薬を飲むと、血中濃度を一定に保ちやすくなるため、そのタイミングで飲むよう処方します。ただ、お年寄りは機能が低下しているわけで、もっと時間を空けて薬を飲めば良いのです。ところが、若い人が1日3回服用する薬を、肝臓や腎臓の機能低下を踏まえて、1日2回や1回にするという診療はなされていません」

「寝たきり年数」世界一
こうした事例から見えるのは、高齢者医療における病院経営上の利益主義、高齢者の身体状況への無知の上に成り立つ〝正常値″絶対主義、そして本人の意思を無視した患者不在。これらの上に、現在の高齢者医療が成り立っているのだ。
春山氏は、一人の患者を継続して診る掛かりつけ医が少ない日本では、高齢者の診察も部分部分で行われると強調する。
「お年寄りは、動悸がするといえば心臓を診察され、汗をかくといえば皮膚科、眠れないといえば、神経科に掛かります。バラバラの治療で別々の薬が処方され、20種類37錠もの薬を処方されたというデータさえあります。これを全部服用したらどうでしょうか。体は潰れてしまいます。濫用されたり、飲まずに捨てられたりする薬だけで、年間2000億円から5000億円も掛かるという試算もあります」
氏はかつて民間の介護保険商品を開発したことがある。その調査で導き出された数字は衝撃的である。
「東京都での調査ですが、初期の要介護から死に至るまで、平均年数は5年を超えています。寝たきり要介護の年数としては世界一の長さでした。日本では、なぜこれほど寝たきり状態が長く続くのか」
患者の全体像でなく、タテ割り診療の部分で見るからだ。氏は、それを中古車にたとえて語る。
「お年寄りは山あり谷ありの人生を走り続けてきたという意味で、中古車と一緒です。一部だけを修理すると他の部品に無理が掛かります。バッテリーだけをスーパーカーのものと交換すると、エンジンに過大な負荷が掛かります。エンジンを直せば、次はタイヤに大きな負担が生じます。このイタチゴッコが高齢者医療なのです」
全国社会保険協会連合会の伊藤雅治理事長は、元厚労省老人保険課長として、20年前、老人医療改革に関わった。その当人が診療報酬が出来高制だった当時の老人医療は「ひどかった」と語るのだ。
「点滴や薬を出せば出すほど医師の収入につながり、病院に行く必要がない健康な老人が、不必要な薬の乱発によって、寝たきり老人にさせられてしまう。本来の医療とは正反対の状況でした。その後、包括制も選択できる診療報酬に変更したら、寝たきり老人が自分の口で食べ、自分の足で歩き、見る見るうちに元気になった例を、数え切れないほど見てきたのです」

正常値崇拝の罪
だからこそ、患者を一人の人間として全体像でとらえることの出来る掛かりつけ医が必要だと、春山氏は再度強調する。掛かりつけ医と病院での治療の相違は何か。英医師の経験で見てみよう。たとえば、高齢者がむせて、気管に異物が入り、肺炎になった場合だ。
「病院では抗生剤を使いながらCRPという炎症反応を示す数値が陰性になるまで、1週間ほど患者さんの食事を一切、止めるでしょう。数値が正常化した段階で、再び生活を組み立てようという診療方針を採るのが定石です。しかし、もともと囁下障害を持っていた患者さんに、1週間も絶食をさせると、中々、食事をする能力を回復出来なくなる。それでも家族の手厚い介護がある方は、それから長い時間をかけてリカバリー出来るかもしれませんが、そのようなバックアップが期待出来ない家庭の場合、そのまま療養型病院を転々とする生活になることはよくあるケースです。在宅医療で掛かりつけ医として、私がどうするか。これは決して一概には言えないことですが、CRPを正常値に近づけるために1週間の絶食という方法は、少なくとも採らないのではないかと思います。患者が暮らしていく能力、これを私たちは社会的能力と呼びますが、その能力を落とさないようにすることに注意を払いながら、治療を進めていくと思います」
実は、食事を自力で食べられるかどうかは、患者にとって大きなターニングポイントなのだと氏は強調する。多くの場合、自力で食事が出来なくなる時期と、患者の自己意思決定能力が失われる時期が一致するからである。肺炎治療のための絶食が、社会性を失うか維持するかの岐路ともなるのである。だからこそ、正常値と、その人の能力保全を秤にかけ、より大切な要素を選ぼうとするのが掛かりつけ医だと、英氏は語る。正常値崇拝は、タテ割り医療の中の専門医の領域だと言い切る。
後期高齢者医療制度は多くの論点を提示したが、この内のひとつがこの掛かりつけ医制度の提唱だった。英氏は、同制度を人間のあり方、医療のあり方、社会保障のあり方を問い直す良い機会だと思ったと、高く評価する。
掛かりつけ医の必要性も認識出来ず、高齢者医療の研究でも欧米に較べて一同も二喝も遅れているのが日本の現実だと厳しく批判するのは、春山氏である。
「世界一の高齢化国家であるにもかかわらず、日本には老人医療を教える大学が殆んど存在しないのです。だからこそ、70歳以上の医療費が全体の40%以上を占めながら、適切な治療も施されない。私は、これまで海外の高齢者医療や福祉の実態を見てきましたが、『なぜ、日本の病院はpoorlyfunctionalな病院ばかりなのか』と質問されました。なぜどこも機能しないのかということです。診療対象のお年寄りの研究が遅れているのは、日本の医療界の知的怠慢です。加えて、日本の問題は医療と介護の混在にあります。病院は病気を治し患者を自宅に戻すための場所です。しかし、病気が治らないのを知っていて、療養型病床で死ぬまで暮させているのが現状です。病院が準特養になっているのです。両者を仕分けしたうえで、日本の医療予算は、実はもっと増やしていく必要があります」
高齢者医療の現場は問題だらけである。私たちがよりよい医療を築こうとするなら、なによりも、戦後の医療制度の変遷とその失敗を分析することが必要なのである。

「あえて言う『後期高齢者医療制度』は絶対に必要だ」<3>週刊新潮(2008/7/10)
今もバッシングの嵐が吹き荒れる「後期高齢者医療制度」−−。だが、天井知らずで伸び続ける高齢者医療費を放置すれば、破線は目前に迫っている。なぜ、医療は危機的状況に陥ったのか。原点は、高度経済成長に沸く日本の「老人医療費無料化」政策にあった。

社会を統合し、ひとつの国としての纏りを保つ力は何なのだろうか。ほぼ世界一、格差が小さく、ほぼ全員が低い自己負担で医療を受け、ほどほどに豊かに暮らせる日本の社会は何によって担保されているのか。
かつて社会の基盤を成したのは家族の絆だった。いま、その役割を果たしているのは社会保障制度ではないか。そう強調するのが静岡県立大学経営情報学部長の小山秀夫氏だ。氏は、国立保健医療科学院の元経営科学部長でもある。
医療保険、年金、労災、雇用保険介護保険生活保護……これらなしには、現代の日本人はバラバラになります。社会保障は社会という扇の要なのです。社会保障があるからこそ、都市と地方、著者と老人などの格差が乗り切れるのです」
氏は高齢者医療問題の処理によっては、扇の要のひとつが崩壊し兼ねないと警告する。一旦制度化した後期高齢者医療制度を、元に戻す動きさえ生まれているが、そうなれば社会連帯そのものが崩壊する危険性が高いと懸念するのだ。
他方、医師の横内正利氏は、外来、入院まで、患者をずっと継続して診ることが出来ると考えて、9年前にいずみクリニックに院長として赴任した。しかし、この間に事情は急速に変わり、国民と社会が医療に期待する水準は際立って高くなった。最先端の技術を駆使してほぼ完璧な医療が要求される社会状況が醸成され、医療費は高騰し、医師の責任も厳しく問われ始めた。そうした状況に対処するため、医師は万全の医療を行おうとする。そして医療費はさらに高騰する。
横内氏は、高齢者医療問題を、まずコスト削減の見地で論ずること自体が間違いだと強調するが、それでも重い財政負担を誰が担うかが深刻な問題であるのは事実だ。小泉内閣で法制化された後期高齢者医療制度はまさに、財政負担を軸に立案された。
75歳以上の人々を切り離した同制度は、横内氏のような誠実な医師からさえも強い反発を買ったが、同制度はいかなる必然性があって作られたのか。それを知るには、日本の医療と社会保険が辿ってきた戦後史の検証が必要だ。
戦後、医療行政は量の拡大から出発した。太平洋戦争が始まった1941年、日本には3354施設の一般病院があった。敗戦直後の1945年、病院数は431施設まで激減、病床数は1万9907床、絶対的に不足していた。病院と病床を増やし、医療を求める国民に割り当てていくことが急務だった。政府は努力し、病院数は2年後、3303施設まで増加した。
当時すでに医療保険制度はあったが、加入者は国民の約6割にとどまり、4割の約3000万人が無保険だった。医事評論家の行天良雄氏が当時を振りかえる。
「当時はお腹がへってへって仕方がない。食べるものはな.い。私は大正15年生まれですが、小学1年生の時に、1クラス30〜40人いた同級生が、6年生の時には1割以上は亡くなっていた。死因の1位は結核、2位は疫痢や赤痢、腸チフスなどの伝染病と栄養失調です。皆、いまでは滅多に死ぬことはない病気ですが、これらで皆死んでいった。強烈な淘汰があったのです」
重い病気にかかって、生き延びるのは〝ラッキー〟だったというのである。
「そもそも医者にかかること自体、大変でした。医師はいまよりずっとステータスがあり、往診料も高かった。貧しい人は病気になると実家や友人から必死でお金を集めた。或いは支払いを待ってくれる赤ひげ先生の所に行ったのです」
戦後の医療改革に主導的な役割を果たしたのは、占領軍のエリート集団だった。彼らは病が貧困を呼び、貧困が病を呼ぶ悪循環を理解していた。また東西陣営の対立が深まる中で、日本を「不沈空母」とする思惑もあり、日本を必死に立て直そうとした。行天氏が語る。
「いつでも、どこでも、誰でも、わずかな負担で、医療を受けられる保険制度というロマンを、彼らは追い求め、自国のアメリカにもない国民皆保険制度を敷くことにしたのです。彼らは1950年の朝鮮動乱に伴って、左遷され、日本を去りましたが、日本国の厚生官僚たちが、その夢を引き継ぐ形で奮闘したのです」

サロン化する病院
無保険者の救済を最大の課題ととらえ、医療制度が検討された。その結果、病気になったときに、国民が皆で助け合っていく制度を選択した。1956年、鳩山内閣が4カ年計画を策定し、1961年、世界に類を見ない国民皆保険制度が船出した。医療費は年々、増加したが、日本の高度経済成長期の税収がそれをしっかりと下支えした。
次の転換点は70年代初頭である。72年に首相となった田中角栄は「日本列島改造論」をぶち上げ、翌年、老人医療無料化に踏み切った。小山氏が解説する。
「当時、国民健康保険に加入すれば、3割が自己負担で7割が保険でした。東京には美濃部亮吉知事の、京都には蟻川虎三知事の革新自治体があり、自民党は放置すれば革新勢力に政権を奪取されると恐れていた。そこで、国債を発行し、医療分野にも充当して老人医療費無料化が実現したのです」
ほぼ同時に、老人以外でも高額療養費制度が取り入れられた。3割負担の原則は変わらないが、ひと月に3万円以上の医療雪がかかった場合は、超過分は全額、保険負担となった。結果、改革前年の1972年度に3兆3900億円だった国民医療費が、改革翌年度は、5兆3700億円に唱えた。
厚労省の政策を見続けてきたハンディネットワークインターナショナル社代表の春山満氏は、老人医療費無料化が日本の医療制度が道を誤った原点だと見る。
「無料化に喜んだのは当の老人よりも、むしろ医師会や病院会でした。しかも、当時は出来高払いです。無料ですから患者にはなんの経済負担もありません。出来高払いですから、病院は医療を施せば施すほど、収入が増します」
全国各地の病院が老人たちのサロンとなったのはこの頃だという。
「連日、病院の外来受付がお年寄りで溢れ、その日、姿を見せなかった知り合いのことを、〝あの人、こないわねぇ〟、〝そうねぇ、どっか、お体の具合が惑いのかしら″と、噂するといった笑い話が生まれたのです。帰ろうとして、次のバスま同制度が必要となったのは、今年3月まで存続していた75歳以上を対象とした老人保健制度の行き詰まりだったと川渕氏は語る。
老人保健制度は、世代間で老人医療費を負担する仕組みだ。高齢者の大半は国民健康保険に入っているが、一番多いときで、国保への税金注入は45%、サラリーマンが加入する被用者保険から老人医療に出す拠出金などを含めると、現役世代が高齢者医療費の6割以上を負担するケースもあり、現役世代の反発は強かった。
「顔を見たこともない老人のためになぜ、という疑問に加えて、将来の負担がどれほどになるかという不安もあって、やめることになったのです」
代替策が必要となり、01年から厚労省日本医師会経団連、連合、市長会、町村会、健保連などの団体が議論したが、ついに纏らなかった。結果として、シンポジウムやらロビー活動やらで、互いを叩きあい、兵どもが夢のあとといった印象で作り上げられたのが、「顔はライオン、尻尾は魚のような」医療制度改革だったと川潮氏は語る。
「例えば、どの年齢で線引きをするかについて、日本医師会は75歳、経団連は65歳以上を主張していました。その妥協案の結果が、前期と後期、二つの、高齢者医療制度の導入に反映されているのです。一方、国保中央会や市長会、町村会は年齢の問題とは別に、国保の負担減を主張していました。まさに、〝百家争鳴″でした」

地味でも着実な改革
慶応大学大学院で医療経済学を教える田中滋教授も語る。
「国が定める制度は、基本的に妥協の産物です。どの国のどんな制度でも、100点満点で、60〜70点あれば、制度はうまく回るものです。医療制度は特に利害関係者が多い。サービスを提供する医師や看護師、サービスを受ける患者や家族、病院経営者、厚労省労働組合財務省など、多くの人々や組織が関わります。患者にとって100点の制度が、医師会には20点かもしれない。その逆もあり得る。だから弱点をあげつらうことは、いくらでも出来る。しかしその種の批判はあまり、意味がない。後期高齢者医療制度は、40点が60点になったのと同じ改革、学生の成績がCからBになったもので、地味ですが、着実な改革ではあるのです」
後期高齢者医療制度がつぎはぎだらけだとしても、つぎはぎの向こうにある本質論に目をつぶる余裕は、現在の日本にはない。制度改革なしには、次世代の日本に明るい展望はないと、春山氏が強調する。
「私たちは、病院はほとんど無料。いつでも、どこでも、最期まで、面倒を見てくれると考えてきました。ただ、これは大きな間違いです。誰が病院で死んでいきたいんですか。なぜこんなに日本人は老いに無防備なのですか。今回の制度改革を、老いはあなたの人生の総仕上げとして、自分らしく自己責任と自己選択で生き抜く日本人への警鐘と考えてはどうでしょう」自分たちの生き方や死に方は、基本的に自分たちが考える。私たちがそう決心したとき、国民不在の制度設計を、真に国民が必要とする制度に変えていくことが出来るのではないだろうか。そうした考えを深めるためにも、後期高齢者医療制度について冷静に考えたい。