「介護で会社を辞めました」

シリーズ 介護は今
“人生の転機”に決断した理由は……

家族を在宅で介護するため、それまで勤めていた会社を辞めざるを得なかった人たちがいる。その理由や背景はさまざまだが、「介護」という“人生の転機”に直面し、決断を余儀なくされた人々の思いの丈を聞いた。【この企画は随時、掲載します】


寝かせきりにショック 「連れて帰って!」と母の声 ケース1


ある日、仕事から帰ると部屋から異臭がした。母がトイレ移動に失敗し、粗相をしていたのだ。そのころ、母から「よっちゃん」と呼ばれるようになった。母の姉の名前だった――。
逢坂恵美さん(仮名、56歳)の母(79歳)は、4年前の骨折を機に、容態が悪化した。ケアマネジャーに相談し、悩んだ末、老人保健施設に入所させた。
しかし、施設に移り、おむつを着けた母の姿を見てショックを受けた。「これでは寝かせきり老人だ」。施設の職員を見ると、「この人たちは良くしてくれている。でも、忙し過ぎる」と感じた。「国は、こういう介護の現場を知っているのだろうか」と、恵美さんは疑問に思った。
夜、自宅に1人でいると、厳しくも優しい母を思い出した。施設に顔を出せば、その母が「連れて帰って!」と繰り返した。胸がつぶれそうだった。恵美さんは、在宅で母の介護に専念しようと決めた。そして今年7月、有名企業を辞めた。


数百人待ちで施設を諦め 在宅サービス支援の充実願う ケース2 


金属加工の職人だった深井良勝さん(仮名、67歳)が会社を辞めたのは、数年前に母(89歳)が認知症になり、徘徊を繰り返すようになったからだ。「会社は『仕事を続けないか』と言ってくれたが、無理だと思った」と振り返る。
要介護5の母との二人暮らし。最もつらいのは夜、眠れないこと。母が2時間おきに目覚めるため、3年近く熟睡できない状態だ。初めは施設に預けたかったが、申し込んだ時点で数百人待ち。良勝さんは「行政には頼れない」と、施設への入所を諦めた。
現在、良勝さんは介護保険で週2回のデイサービスや電動ベッドのレンタルなどを利用。「利用料が1割で済むのはありがたい」と語る。その上で、「介護の苦労を分かってもらえば、もっと支援が充実するかもしれない」と付け加えた。
深井さんは、しまっておいた履歴書と封筒を取り出してつぶやいた。「いつか仕事ができるようになったらと、用意していたのだが……」。


「面倒を見る!」と宣言 瞳うるませた要介護5の妻 ケース3


大熊孝夫さん(仮名、71歳)の一日は、糖尿病でほぼ寝たきり状態の妻の血糖値測定から始まる。3度の食事の前に打つインスリン注射も欠かせない。11年前までは妻が自分で打っていたが、指に力が入らなくなったのだ。孝夫さんはそのころ、長年務めた会社を定年退職した。「会社側からは、継続雇用を提示されたが、断った」と言う。
今、一切の家事と要介護5となった妻の食事のカロリー計算、入浴介助などの介護を孝夫さん1人で行っている。日々、不安は募る。夫婦2人の年金だけでは不慮の入院等に備えられない。スーパーでの買い物は半額か割引の商品を選ぶ。近くの中学校で行っている毎夕1時間のアルバイト代(月2万円強)がせめてもの救いだという。
自分で介護すると決めた時、「私がずっと面倒を見る!」と妻に宣言した。今も、その気持ちは変わらない。「愛してるよ」。時折、妻に呼び掛ける。妻はあまり表情を変えないが、その瞳はうるんでいた。





私もひとこと ――


辞めたくても辞められない55歳 女性


義父、夫に続いて、義母の介護が必要になり、体力的に無理だと感じ、義父は施設に入所させました。
本来なら、家族で面倒を見てあげたいのですが、お金が掛かり、仕事を辞めたくても辞められません。本人や介護する家族にもストレスが高まっています。介護で仕事を辞めても、生活できる人はよいでしょうが、できない人も多いのです。


60歳は求人なく再就職は難しい60歳 男性


今年2月に亡くなった母を14年間、介護していました。当時は体調を崩して会社を辞めていたので、私が面倒を見ようと決めました。手の掛からない母でしたが、最後の1年はおむつを使いました。私は独身なので、自分の子どものおむつを替える経験をせず、母のおむつを替えたのは、正直つらかったですね。
ハローワークに行っても、40歳代では求人がないので、再就職は難しいと思います。


近くで短時間働けないかと57歳 女性


母との同居介護をきっかけに、看護師の仕事を辞めて4年半がたちます。母の年金と、自分の貯金を取り崩して生活しています。
母は要介護3で、料理は一切できず、着替えも1人ではできません。近所で短時間で働ける場所がないかと探しましたが、派遣登録しても仕事は見つかりません。ケアマネジャーからも「資格があるのに、もったいない」と言われています。


一家で仙台へ、つらかった転院54歳 男性


7年前の正月、当時78歳だった母が、突然、脳梗塞で倒れました。実家は仙台。父親は84歳の高齢で母の面倒を見ることができません。当時、私は東京で銀行マンでしたが、意を決して仕事を辞め、一家で仙台へと移り住みました。
一番困ったのは、特別養護老人ホームに入るまでの間、3カ月おきに三つの病院を転々としたことです。転院のたびに母が衰えていく様子が手に取るように分かりました。一年で退職金を使い果たしました。再就職に非常に苦労しました。


もっと早く相談していたなら…70歳 女性


会社を辞めた後、介護サービスを利用し始めたのは、主人が亡くなる約2カ月前からです。主人の徘徊には本当に大変な思いをしましたが、私自身、「寝たきりにならないと、介護サービスは使えない」と思い込んでおり、手続きが遅れたのです。
しかし、この間、医療機関から介護サービスの利用に関する十分な説明がなかったのも事実です。今、思えば、もっと早く自分から相談すればよかったと思っています。
(公明新聞:10月17日)