国家戦略なき「政治ショー」

目的と手段が転倒し、“誤審”相次ぐ

事業仕分け終了


 「ミス・ジャッジだらけの草野球を見せられたような気分」と言ったら、言い過ぎだろうか。


 政府の行政刷新会議による事業仕分けの作業が終了した。


 95兆円規模に膨らんだ来年度予算概算要求の「無駄」を洗い出すとの触れ込みで、議論を一般公開するまではよかったが、作業が始まるや、仕分け人の“目利き”の未熟さなど多くの課題が露呈した。「はじめに結論ありき」とばかりに、「廃止」や「削減」を次々と決めていく乱暴な手法に、多くの国民は不安を覚えたに違いない。


 事業仕分けそのものについては、国に先駆けて既に多くの自治体が実施しており、行財政の透明性確保や税金の無駄排除など、多くの面で効果を発揮している。公明党もかねてからその有効性に着目し、国レベルでの導入を主張してきたところだ。


 にもかかわらず、今回の試みが各方面で大きな混乱を招く結果に終わってしまったのはなぜか。


 ひと言で言うなら、「やり方」の稚拙さだろう。事業仕分けの本来の意味を解さぬまま、目的と手段が転倒してしまった結果と言うほかない。


 その典型が、地方関係予算の仕分けだ。地方交付税や農道整備、下水道関連などの事業がいとも簡単に「見直し」「廃止」の判定を受け、多くの自治体から怒りの声が噴出した。


 当然だろう。「無駄排除」が「地方切り捨て」と同義であるかのようなやり方では、地方の疲弊に拍車がかかるばかりだ。


 「事実上凍結」された次世代コンピューターの開発予算や、「廃止」とされた国連平和維持活動(PKO)訓練施設の建設、「見直し」の判定が下った在日米軍に対する「思いやり予算」なども、判定基準が不明確なまま、結論だけが示された。


 そもそも、国の将来にかかわるこの種の問題を、1時間程度の論議で判断すること自体、間違っている。長期的視点に立った国家戦略が、鳩山政権と民主党に欠落している証しでもある。


未来への投資はムダ?


 その意味では、公明党が20年、30年後の日本の姿を思い描いて取り組んできた「子どもゆめ基金」や「子ども読書活動」「若者自立塾」などの事業が、相次ぎ「廃止」と判断されたことも残念だ。


 短期的な費用対効果しか見ず、未来への投資の大切さを理解していない仕分けなど、百害あって一利なしである。せっかく芽生えた青少年の夢や意欲をそぐことにもなりかねない。


 このほか、「政治ショー」さながらの仕分け人のパフォーマンス発言や、民間仕分け人の選定基準の不明瞭さなどにも、厳しい批判の声が寄せられた。


 鳩山政権は今回の仕分けの“失敗”を直視し、今後の予算編成に生かす度量を見せてほしい。誤った判定をそのまま受け入れるようでは、事業仕分けの本来の意味を歪めた形で国民に伝えることになる。
(公明新聞:12月1日)

「100年に一度」と言われる大不況に、市民の生活は脅かせ続けられております。
新政権が誕生して2ヶ月が経ちますが、国民が元気になる施策の一つも発表されておりません。
メディアで踊る「事業仕分け」も法的には決定事項に何の拘束力もありません。「これだけ削った」という金額のみが提示され、削られた事により継続出来なくなった事業が、私達の生活にどう波及し、どんな影響があるのかも説明がありません。
ただ選挙時に掲げた「子供手当て」「高速道路無料化」等の施策の財源に当てるとの事。誰もが納得するムダなら省くのは当然ですし否定はしません。
ますます緊急を要する経済政策を何も打たないまま、確固とした理念も無く「ある」ところから「ない」ところの為の「事業仕分け」なら、予算の積み替えの為のパフォーマンスに過ぎません。
理念なき政治、哲学なき政治は混迷をもたらし、国を衰退させてしまいます。また民衆、現場から離れた政治は迷走します。公明党は深き理念と哲学の基盤に立って、幅広い国民の皆様の理解と連帯と協力のもと果敢に諸改革の実現に取り組んでまいります。