視察報告・10月7日〜8日・宮城県七ヶ浜町、石巻市

平成25年10月20日
視察報告書

作成者 弥富市議会 堀岡敏喜

視察期間 平成25年10月7日〜8日(二日間)
視察地   宮城県七ヶ浜町役場、及び石巻市役所
目 的     防災関連(別紙)
報 告     別 紙

 平成25年10月7日(月)より8日(火)の二日間、宮城県七ヶ浜町(7日)、石巻市(8日)への視察について、以下の通りご報告します。

10月7日 
PM13:00〜
七ヶ浜町役場。災害時における行政の対応と議会の役割について質疑。弥富市からの派遣職員激励。

10月7日
PM15:30〜
塩釜港「みなと復興市場」視察

10月8日
AM9:00〜
石巻市市役所。被害状況と現状について説明と質疑。

10月8日
AM11:00〜
石巻市、市内視察。石巻市議の堀川氏と弥富市ご出身の高橋さんの案内による市内現状視察。

10月8日
PM15:00〜
帰路

【視察目的】

この度の視察の目的は、先の議会改革協議会において「防災と議会の役割」が議題となり、議論の過程で議会における「災害マニュアルの必要性」「災害時の議会の役割」などの意見が出された。その事を検証すべく視察先自治体の先例と実情を伺い、今後の弥富市防災に生かしていく。

【仮定課題】

未曾有の大惨事となった東北地方太平洋沖地震。「想定外」という言葉は、多くの災害犠牲者を出した言い訳にはならない。
視察先の一つである石巻市は、被災自治体の中でも多くの犠牲者が出た。
この事実に基づいて、今後の復旧復興と、災害被害者ゼロを目指して、防災を交えた「まちづくり」にどう生かしていくのか。この課題に対して様々な質問を両自治体、議会に先だって提出させていただいた。

質問要綱は以下の通りである。

防災・減災の基本は「自助」「共助」「公助」である。それには、事前的な取り組み、発災時、事後の取り組みがあり、またそれぞれにはハード&ソフトの側面がある。
今回の大震災では多くの想定外があり、多くの尊い命が奪われ、甚大な被害に見舞われた。
大震災以前に取組まれていた様々な施策で、自治体として機能した部分、機能しなかった部分、今後改善、また新たな取組みなど総体的にお伺いした。
七ヶ浜町石巻市の両自治体、議会に可能な限り回答をいただきたいと、事前に質問要綱を送付したが、七ヶ浜町には回答をいただいたが、石巻市からは残念ながら回答は無かった。

「公助」
①防潮堤・防波堤・避難所などの事前事後。

数十年から百数十年単位で発生する比較的頻度の高い津波津波レベル1」を想定し、防潮堤と防災林による多重防御を整備。防潮堤は地域によって4.3mから6.8mに設定した。

②市民への周知・広報啓発、緊急時の伝達方法などの事前・発災時・事後。

事前、発災時はアナログ防災無線。事後はアナログ防災無線、Jアラート連動、
エリアメール連動、MCAデジタル無線機を30台配備。
その他、SNSの活用の有効性だとしている。

③避難所開設について、その運用と課題。多くの自治体では職員の介在がマニュアル化されていますが、機能するのかどうか。

避難所の開設は、発災の時間帯によって対応が変わってくるが、学校避難所は複数の町職員の介在が必要となる。指定避難所以外に避難所となったところは地域の自主防災会等で対応した。
マニュアルは実施訓練を通して有効になる。

④水・食糧など備蓄品の量、種類など。

飲料水は5,976L。アルファ米6,950食。クラッカー18,300食。
生活用水10,800L。
発災時には、事前協定により仙台コカコーラから(2L×6本)100ケース、
計1,200Lが無償で届いた。
備蓄品と別にスーパーや食料品店等と事前に災害協定を結んでおくことが重要。

⑤トイレの対策。

大変困った問題。
(震災前)
簡易ポータブルトイレしか準備していなかった。
(発災時)
仮説トイレ(和式)を設置したが、普段洋式を使用している高齢者や子供たちからは使いにくい等の苦情があった。(高齢者は和式だとしゃがめない)
下水処理の最終処分場の機能が停止したため、汚水等が海に垂れ流し状態となり、伝染病等の蔓延が心配されたため、水洗トイレの使用を制限したが、周知徹底ができなかった。
また、高齢者や子供たちが使用するに当たっては手すりや室内灯も必要。
洗浄用の水はプール等の水を汲み上げて使用。

⑥地域医療との連携や取組み、事前・発災時・事後の状況と、今後の課題。

事前に災害時の協定を締結していたが、地域の医療機関、医療従事者そのものが被災したため、協定通りにはいかなかった。

ライフラインの全てがストップしたままの状況で、SOSを発信する術がなかった。七ヶ浜町では地元開業医が発災当初から町の保健師とともに各避難所を巡回、また、不足していた医薬品の調達にも奔走し、最悪の環境下だったが、インフルエンザや感染症の蔓延を阻止できたほか、大事に至らずに済んだ。

宮城県医療整備課を通じ、日本医師会などで組織する医療救援チームの派遣を受け、各避難所に24時間体制で張り付いていただいた。

地域医療になっている地域医師会に遠慮して、他市町自治体は、発災当初DMAT、JMATの要請を憚っていた。

阪神淡路大震災や、いわゆる大規模地震災害の際は、死者、重傷者、軽症者等の方々が多数出たためDMATが大活躍したが、今回の大震災においては、亡くなるか、軽症者がほとんどだったためDMATの活躍の場は少なかった。
代わって、JMATの医療チームが間断なく、避難所が閉鎖されるまで11道県から支援いただいた。

⑦要支援者を始めとする災害弱者への対策。

現在は、災害時要援護者避難支援プラン計画を地域福祉課を中心に策定中。

⑧発災後の安否確認の事前・事後。

地区によっては、安否確認旗などを各家庭に準備して訓練を行っている。

自治体をはじめ関係機関のBCPの取組みの有無、その有効性について。

地域防災計画の見直しを行っており、自治BCPを作成中。


⑩事業者へのBCPの啓発と、その有効性について。

七ヶ浜町では事業者が少ない事もあるが、BCPの策定は各自業者の判断としている。現在、啓発活動は行っていない。(自治BCPが未完成であるため)

⑪学校関係での防災教育のあり方、実施訓練のあり方。

防災教育については震災後、各学校に防災主任を配置し、各学校で防災教育を実施している。

実施訓練は、平成24年度、七ヶ浜町内全ての児童生徒を対象に、学校登校時避難訓練を、平成25年度は、放課後自宅から避難場所への避難訓練を実施。
また一部の小学校では消防署と防災対策室、生涯学習課の強力で、6年生を対象とした「防災リーダー講習会」を開催した。

福祉施設での災害に対する事前、発災時、事後の対応について。

七ヶ浜町では、これまで福祉避難所を指定していなかったが、震災後、3箇所の福祉施設を福祉避難所に指定をし、多くの災害弱者を受け入れた。
見直し中の地域防災計画には、最初から福祉避難所になり得る施設を指定しておく予定である。

⑬発災後、罹災証明等の発行に関わる問題点、改善策等。

全壊・大規模半壊・半壊・一部損壊の判断基準が被災自治体により、また、状況により異なり、現地調査において「不公平」との声が多く寄せられた。
被災件数がかなり多かったため、職員だけでは対応しきれず、調査に当たっても、他自治体職員から支援をいただいた。罹災証明の発行にも約2週間から3週間の期間を要した。

問題として、損壊の判断基準を国で定める事と、その定められた基準を被災自治体が遵守すべきである。


⑭ボランティア受入れに際しての問題点。課題等。

七ヶ浜町では大規模災害時に「ボランティアセンター」の開設を早急に行えるよう社会福祉協議会との協定を結んでいた。
社会福祉協議会では10年ほど前から過去の震災を教訓に、宮城県沖地震がいつ起こっても対応できるよう専門職員を配し、研修を重ねていた。
そのことがあり、今回の大震災では早期に受け入れ態勢を整えることが出来、延べ2万人のボランティアをスムーズに受け入れることが出来た。現在も支援を受けている。

自治体から見る警察・消防の機能性について。

[警察]津波被害が広範囲であった事と、管轄の塩釜警察署が津波により被災したため、震災直後は機能していなかったが、他県からの応援体制が整って以降は機能していた。

[消防]震災直後、七ヶ浜町のJX製油所内で火災が発生したが、現場への道路が津波により被災したため、しばらくは放置火災の状況となった。その後、重機等で道を確保し、消火活動を行った。火災はこの一軒のみで、消防署は救急搬送と人命救護に従事しており機能していた。

⑯発災後の治安について、問題点、課題等。

震災直後は、日中、夜間を問わず、多くの不審者が七ヶ浜町に侵入した。

報道では取り上げられなかったが、治安はかなり悪い状況だった。
消防団や警察、警備隊に夜間、早朝の巡回警備を行ってもらう事が必要。

⑰議会との連携の有無。また発災後、議会召集の時期。

議会自体が協議会を開催したのは発災より13日後だった。
議員は各地区等で災害支援活動に専念した。初協議会よりは開催時期を確認し、被災状況などを調査。状況報告などを対策本部に提出。懇談会を開いたり、戸別訪問を行い、状況の把握と、意見、要望の収集に努めた。
議会としての召集は半年後の9月。

⑱避難所でのペット対策について。

避難所においては、「ペット同伴部屋」を設置した。
野外で飼っていた犬等は避難所の外で繋いだ。
特に対策はとっていなかった。

⑲近隣、または遠隔自治体との災害協定の必要性、有効性。

災害の規模、被害状況を想定し、より多くの自治体、必要と思われる企業との災害協定を結んでおくべき。
大災害、また非難が広域になる場合、長期になる場合、有効であり、必要である。


「共助」
自治会と行政の関わり方について、事前・事後では変わったか。

行政は学校や公共施設等、指定避難所の運営。自治会(自主防災会)は在宅避難者や、公民館、地域協定による避難所の運営等に協力いただいた。

②自主防災組織の結成率の事前事後。

事前から各自治会における自主防災会の結成率は100%。
平成16年から後援会や説明会を通し、平成18年に結成率100%を完遂した。

③避難所での自治会機能の有無。

自治会での防災意識は高く、訓練どおり、避難場所から避難所への移動も自主防災会が誘導し、避難所内でも自治会機能が有効に働いた。

安否確認で避難者を探しにきた場合、住民の顔と名前が一致しているので、職員が名簿での確認作業がスムーズに行えた。在宅避難の状況や、避難所での決まりごと、避難所生活のモラルも自主防災会を中心に住民同士話し合え、守ることが出来た。それによって、避難所担当職員はそれ以外の業務に専念することが出来た。

④要支援者や災害弱者の把握、事後の安否確認等での自治会の機能。

自主防災会には地域の民生委員も含まれているため、要支援者の把握は十分ではなかったが、ある程度は出来た。七ヶ浜町では現在、災害時要支援者避難支援プランの計画を策定中。

⑤地域の防災リーダーの必要性。と育成支援。

この地域の住民は、もともと防災に対する意識が高く、自主防災会でも地域内在住の有識者等とワークショップを重ね、地区独自の避難プランを作成し、年間行事として防災訓練を行うなど、積極的に活動している。
今後は子供たちの育成が重要である。

⑥地域の地理や特性から、災害によって起こる様々な事象や問題の共有、地域への啓発事業について。

地域防災計画の見直しに伴い、各地区の代表ともワークショップを重ね、津波ハザードマップを再編。全戸に配布し、啓発を行っている。

自治体から自治会へ期待する事など。

在宅避難者への情報提供や食料等の支援方法を確立。
自主防災会の活動に格差が出ないよう工夫が必要。


「自助」
①過去から津波被害を被る地域として「つなみてんでんこ」に代表される防災意識、警戒意識の継承は。

チリ地震津波の経験で防災意識は高く、警戒意識はそれぞれ継承されていたと思われるが、東日本大震災の三日前に発生した三陸地震(M7,2)で津波注意報が発令されたが、到達した津波は40cmだったため、3,11では油断が生じた。
この地域では「地震が来たら津波」という意識が、毎年の訓練等でも周知徹底されており、地域の自主防災組織の充実もあって、甚大な被害を被った割には人的被害は少なく済んだ。

②個人としての備蓄、また持ち出し品などの備えはされていたのか

この地域では30年以内に宮城県沖地震が起こると言われていたため、各自の備蓄はしていたと思う。しかし、今回は想定外の被害で、復旧までに時間がかかり、十分ではなかった。また、家ごと流された地域も多く、持ち出す暇もなく、備蓄が役に立たなかった方も多い。

地震に備え、家具固定などの徹底はされていたか。

地震への知識の啓発とともに、耐震、家具固定を補助事業として行っている。
未確認ではあるが、各家庭での実施はされていたと思われる。

④家族、各個人が連絡手段、情報取得の手段は持っていたのか。

震災直後はNTTの支局が津波で被災し、一般電話はつながらなかった。
そのため、住民同士、また遠隔地との連絡は携帯電話、メール、SNSが有効だった。
携帯電話もパンク状態で繋がりにくかった時、SNSが有効だった聞いている。

⑤自助の啓発、共助へつなげる取組みについて。

大震災を受けての事になるが、住民がそれぞれ、自身の知識と意識の啓発の重要性(自助)、地域との繋がりの重要性(共助)を再確認した。地域によっては防災訓練等の参加者に格差があったが、積極的に参加する方が増えている。

⑥個人の疾病情報や血液型、帰省連絡先などを記した「安心カード」等、自治体によっては名称は違いますが、個人の状況を記したものの必要性、または有効性。

七ヶ浜町では、「緊急医療情報キット」を高齢者、障がい等をお持ちの方など、災害弱者の方で希望する方に無料配布している。
各家庭での配置場所は関係各所も周知しており、救急搬送される場合など、かなり有効である。



以上が、私の質問に対して回答いただいた内容である。
くわえて、他に留意すべき点をご指摘いただいた。

〇指定されている避難場所や避難所が、本当に安全か確認する必要がある。
災害によっては十分機能しない場所があることを知っておく必要がある。

津波に関して、その場の判断で諦めずに、とにかく高いところに逃げる事。


[災害対応に従事する関係者、及び職員にたいして]

〇当時を振り返ると、全てのライフラインが寸断された中でパニックに陥り、
被災現場確認や避難誘導などで、殉職した職員や消防団員が出たことは大変残念だ。
不眠不休で過労死した方や、健康を害した職員も多くいた。今でも体調不良を訴える方もおられる。
そんな事にならないよう以下の事も考慮する必要がある。

①住民の命を守る立場であっても、決して無理することなく、自分の命や、健康を考えながら避難者対応に当たる。

②上司は部下の体調管理も考慮して、休む事も仕事のうちである事を周知徹底させ、輪番制で休ませる。

③関係機関職員が気兼ねなく休めるよう、執務室を確保する。




自治体での意見交換の場で、今回の大震災の経験を踏まえ、今後、地域防災にどのように取組むのか、同じ質問をさせていただいた。
自治体とも、ほぼ同じ回答だった。共通しているのは「災害被害者ゼロ」と「防災は事前の取組みが全て」ということだった。

自治体とも復旧復興計画の最中で多忙であり、そんな中、今回の視察のを受け入れてくださった事に心より感謝したい。
【所感】

今回の視察において、率直な感想を言えば、対照的な両自治体だったと思う。
物的被害は両自治体とも甚大であった。しかし、人的被害が少なかった七ヶ浜町と、自治体で最も多くの被害者を出した石巻市。この差はどこにあるのか。
失礼を承知で言えば、視察に対しての対応にも、その差があると思う。
我々は被災現場の現状を確認するだけで行ったのではない。自治体として、議会として、行政として、今後どのように取組めば減災に繋げる事が出来るのか、弥富市民の命を守るにはどうすべきか、その課題を見つけ、持ち帰るための視察である。

視察の一週間前、JIAMのセミナー「防災と議員の役割」を受講した。
このセミナーでは、住民が取組む「防災」、自治体の取組む「防災」について、それぞれ先進的に取組まれている地域の活動報告から始まり、クロスロード体験学習、DIG体験学習、山口大学大学院准教授の瀧本氏の講義に至るまで一貫していた事、それは事前の取組みこそ重要であるという事だった。
当たり前の事であるが、実はその当たり前が出来ていないから頻繁に起こる災害で、尊い命を失ってしまう。
「釜石の奇跡」で知られる片田教授のセミナーでも仰っておられた。私も心からうなずいた「生活文化」にならないと、本当の「防災」にはならないと言う事。
教育も、産業も、医療も、日常の生活に当たり前のように防災の意識が根付いてこそ、自助・共助・公助も機能をする。
弥富市で言えば、この地域は南海トラフの巨大地震も危惧されているが、耐震、家具固定が当たり前になってるだろうか。また市内全域が海抜ゼロ以下で、毎年のように風水害に襲われる危険性がありながら、住民一人ひとりがその事実を認識し、地域で共有し、必要な備えが出来てるだろうか。
年数回のコミュニテイ単位の防災訓練、自治会の防災訓練で行う「初期消火」「心肺蘇生」「煙ハウス体験」「応急処置訓練」等々、どれも必要な訓練ではあるがが、ほとんどは発災時、または発災後の演習的な訓練だ。
災害が起きた時、その演習がなるべく少なくするため、わが町で被害者を出さないために、起きていない今、取組まなければならない事こそ「防災」の本道なのだと思う。
七ヶ浜町の、私の質問に対する回答も、そこを意味している。


弥富市における「防災と議会の役割」について、災害時の議会の行動、議員活動をマニュアル化することは、災害想起にも繋がる事から、大いに議論を進めたい。
しかし、それは事前の取組みを、行政、議会はもちろん、市民全体が明確になっている必要があり、議会自体、弥富市における防災知識、意識に共通の認識を持つ事が前提だと考える。

以上、報告とする。